経験が真実で宝

9月が終わりになりますが、台風が沢山発生して雨が続いています。9月になって、こんなに雨ばかり降っている記憶があまりないですね。稲刈りもできないで『晴』を待っている方が非常に多いんではないでしょうか。時期を逸するとお米の品質にも関わるので、稲作をされている方はお困りと思います。

 

すっきりした秋晴れが続くと良いですね。まだまだ小宮の御柱があったり、運動会があったり、食欲の秋だったり、馬肥ゆる秋です。おいしい食べ物が沢山ある時期です。松茸なんか食べたいのですが、地元の物は高額で手が出ません。スーパーなんかで見かけると、値段ばかりが気になってしまうのは私だけではないと思っていますが、それが消費されている事を思うと、「誰が買うんだろう」「どんな家庭の方が買われるんだろう」と思ってしまいます。根っからのビビリ屋なんだろうと思ってます。

 

5000円もする松茸を買うなら、ラーメン〇杯の食べられるなんて直ぐ考えてしまう貧乏症なんだと思います。人間『食う』に付いては大切な欲求ですので、たまには豪華な食事も大切ですね。外食をした後、お金を支払う段階でそれがストレスに変わりますので、自分の尺を考えて生活しなきゃって思います。

 

人それぞれですので、それはそれですけど・・。

 

で、

 

今回は経験が大切って話です。

 

松茸の話もそうですが、松茸の味を知っているから他のキノコの味と比べる事ができますし、高額でも香りを楽しんで食べる事で明日の活力が生まれたりすることも分かっています。

 

これって経験なんですね。経験したことは自信を持って話せますし、行動もできます。知らない事は全く手が出ませんし、考える糸口も見つからない事もあります。仕事でいろいろな経験をされている人は、困った時などには非常に頼りになります。

 

今、やって良い事、悪い事は分かっていますし、それがタイムリーに言葉となって口から出てきます。業務に精通している方や職人さんなんかは経験測(則)からいろいろが自分の身体に入っていて、それが技能・技術に結びついていますので見習いたい場面が沢山あります。

 

人生についても同じなのですが、長く生きてきた人は経験が豊富です。ただ生きてきたわけではないので、良かった経験・うれしかった体験や嫌な思いをした経験を持っています。その経験は誰にも渡せるものではなく体・脳にあります。

 

『先生』という単語がありますが、簡単に言えば先に生きている(生まれた)という事です。教える人より先に経験している人を先生と称しているんだと思っています。知らないんじゃ先生じゃないですね。経験していなきゃいけません。偉くなると単純に〇〇先生と呼ばれている人がいますが、「どこが?」と思ったりします。

 

貴方より私の方が偉いんだみたいな口のききかたをするのですが、そういった人は実が詰まった稲穂を見習えと思います。先生ってしっかり経験を積んで、良い方向に導ける人が先生です。先に生まれただけなんですから。

 

批判めいた事を書きましたが、経験は売ってはいません。自分で体験した事が本人の宝になります。それが本人のスキルに繋がりますし、人間性にも影響があります。体験を恐れてはならず、やってみて、試してみる積極性が大切です。食わず嫌いにならないように、チャンスがあったらチャレンジしてみましょう。

 

基本は、「オイラにやらせてくれ」ではないでしょうか。それが、自分にとっての宝になると思って。

 

経験に嘘はありません。経験から得る事が真実で宝です。

takara

話が飛んでしまいますが、こんなことから、私も含めてお年寄りは大切にしましょう。(^^

 

いろいろ話すと学ぶ事も沢山あり楽しいです。自分も高齢者のちょっと仲間なんだと思うと、ショックを感じてしまいます。人に意見を言える人材になれたのかい?と自問自答しています。